児童書を出版しているポプラ社から、「しあわせの牛乳」という本が出版されました。岩手県岩泉町にある中洞牧場の場長・中洞正さんが強い信念のもとに取り組んできた山地酪農経営のこれまでの経過と、どうやって課題を乗り越えてきたかのルポルタージュという仕上がりになっています。
 中洞さんは、小さいころ、村のほとんどの家で飼われていた少頭数の乳牛の世話を進んで行い、将来は地域一番の牛飼いになると密かな決意をしていたといいます。中でも乾乳期になると山の上にある村の共同放牧地に牛をつれていく「山あげ」に、父上に連れて行ってもらった体験が、山地酪農を生涯の天職と考えるきっかけになったといいます。その後、父上の事業の失敗もあって、借金を返すために母が埼玉県の酪農家に出稼ぎに出たことから、自分も勉強のつもりで、いわゆる「近代酪農」を勉強しておくのも無駄ではないのではないかと思い、埼玉の牧場でしばらく働いたそうです。当時はまだ手搾りで、のちにミルカーが導入されたものの、濃厚飼料を多給して乳量をあげる飼い方や、一腹搾りという経営のやり方を体験して、牛に無理を強いる飼い方は、どこか違うという考え方に気が付いたといいます。今思えばちょうど酪農技術の転換期にあたっていたのですが、自家で行っていた酪農技術とは大きな隔たりがあって、将来を考えると酪農のことをもっと勉強する必要性を感じ、岩手に帰り、高等学校入学からやり直しをしたそうです。大学に入って、牛にも良い、人にも良い酪農があるはずと悩む中で、偶然見た一本の映画から山地酪農の存在を知り、本当にやりたい酪農を見つけたといいます。山地酪農を提唱する猶原先生の「山地酪農」を知った中洞さんは、大学を出て岩手に帰りますが、土地を買うにもお金はなく、ないない尽くしの状況の中で、実家の隣の狭い草地で細々と牛を飼っていたのですが、3年たったころ5haの土地を貸してくれる人が現われ早速、山地酪農に取り組みます。ところが、電気もなく、まさにサバイバル生活だったと振り返ります。そうしているうちに国の事業で行われることになった50haの牧場建設の話が舞い込みました。しかし国の補助はあるものの設備が立派な分、相当な額の借金が残ります。しかし、悩んでいる暇はありませんでした。一大決心をして、このチャンス生かすことを考え契約書にハンコを押したといいます。
 ところが、中洞さんの目指す、山地酪農は、牛と人が牧場を作るというもので、自然に逆らわず牛にも良い牧場を作ることで、国の目指す「近代酪農」とは開きがあり、指導者とは色々なことで対立したといいます。入植したころ、奥様と見合い結婚し、2人で酪農に取り組むことになりました。
 草地も安定し、牛も増えて乳量が安定し、ようやく経営が成り立つかなというときに、また、新しい問題が生まれました。生乳の取引基準が乳脂率3.5%以上と定められました。牧草だけで乳を搾る山地酪農は1年を通じて3.5%を維持するのは困難なことです。農協が買い取る規格外の生乳価格は半額になってしまいます。山地酪農に取り組む仲間たちが廃業するかどうかに悩む中で、それなら、自分で作った牛乳を自分で売るしかないと気付かせてくれたのが、「こんなおいしい牛乳飲んだことない」という親戚の一言だったといいます。当初、中洞牧場の牛乳を加工してくれる加工場を探し、のちには牧場で加工するようになります。宅配を続ける中で、これが中洞牧場の現在の在り方を決定づけてくれました。理想を実現するために一歩も譲らない中洞さんの真骨頂というところでしょうか。
 今は後輩の若い人たちも中洞牧場のやり方を学ぼうと集まってきてくれます。牛も長生き、人ものんびり、「酪農は楽農」という、環境を生かした山地酪農を実現する理想の牧場ができつつあります。

詳しくは、ポプラ社「しあわせの牛乳―牛もしあわせ、おれもしあわせ―
山で牛を育てる牧場、なかほら牧場ができるまでの物語」をご覧ください。
A5版 定価1200円です。