『森林飽和』太田猛彦(NHKブックス)
 

 環境破壊が叫ばれて久しい昨今、私たちは日頃、なんとなく「木を伐るのは悪いことだ」と考えている節があります。たしかに、世界規模でみれば、熱帯雨林の減少などは非常に重大な問題となっています。しかし、本書において著者は、この日本に限って言えば、現在は史上かつてないほど豊かな森林が広がっているのだ、と言います。江戸時代から戦後まで400年あまりの間、日本の里山ははげ山だらけだったのだと。「昔は緑が豊かでよかった」などと聞かされて育った世代としては、にわかには信じがたいことです。
 「森林大国」である日本で、われわれ日本人は古代より森との関わりの中で生きてきました。弥生時代、稲作が伝来したことにより、私たちは農耕民族となり、積極的に森を利用し始めました。著者によれば、この頃からすでに「森林の荒廃」は始まっていたと言います。時代が下り、都を築く頃になると、大規模建築物のための木材の需要が高まり、森林への「利用圧」も高まりました。都の周りはすでにはげ山であり、さらに遠方へと木材の供給地を求めていきます。さらに、商工業の発達により、燃料としての木材の需要も高まりました。製塩業、製鉄業、窯業……これらはすべて、薪として木材を大量に消費する産業です。江戸時代の製塩業の例では、1町歩(約1ヘクタール)の塩田で1年間に1200石(約216m3)の塩を採れますが、その燃料を得るためには75町歩の森が必要になるという途方もない計算があります。これだけ聞いても、当時の産業によって森林がいかに疲弊したか、容易に想像がつきます。その後も森林の過剰な収奪は続き、森林の劣化は明治時代にピークを迎えました。木々を失った山は豪雨のたびに土砂崩れを起こし、河川に流出した土砂は海まで流れていき、飛砂となって人々を襲いました。そしてようやく、全国で「砂防」のための山腹工事、そして海岸林の造成が始められます。17世紀以来300年以上も続いた山地・森林の劣化・荒廃は、昭和を迎えてようやく回復への道を進み始めました。
 ところが、戦後に化石燃料が普及したことにより、様相は一変しました。燃料としての需要が激減し、森林は利用圧の低下によってすくすくと育っていくことになります。「それならいいじゃないか」と思ってしまいますが、そうではないのだ、と著者は強調します。たしかに、量でみれば日本の森林はかつてないほど豊かですが、「質」の面において、新たな問題が起こっているのです。里山はいまやササに覆い尽くされ立ち入ることもできません。建築用材としての需要も落ち込んだことにより、スギやヒノキなどの人工林では間伐も行われず、林床が育たず裸地化し、土砂崩れを引き起こします。伐採されなければ、私たちは今後も延々と花粉症に苦しむことにもなります。人が適切に管理し、手を入れていかなければ、森林は宝の持ち腐れどころか、新たな脅威を生み出す可能性すらあるのです。
 
 本書の中で著者は、「森林が失われている」などという思い込みは捨て去るべきだ、と何度も強調されています。森林は量的に回復した。それも、かつてないほどに。その前提に立って、これから私たち日本人はどのように森と付き合っていくべきか。私たちは、そのことを考えるべき時にきています。それは同時に、国土全体の未来を考えることでもあります。森が本来もっている機能を、持続可能な社会をつくっていく上でどのように活かすか。日本の未来を考えていくための大きなヒントとなる一冊です。