朝市で有名な岐阜県高山市では毎年8月の9日10日の二日間、町に威勢のいい売り声が響きます。
「馬買うていけ!馬曳いていけ!」「はい!1千万両、そちらは5千万両!」
いまどき、馬を買えって、そう簡単に買える人はいませんよね。それに高いし!
だいいち北海道ならともかく飛騨の高山で馬市(うまいち)が開かれる、という話も聞きません。
この「馬買うていけ!馬曳いていけ!」という売り声のする方へ入って行くと・・・・。
そこには沢山の人が、その馬を選んで「この馬にしようか、いや、こっちの馬にしようか」と迷う姿が見られます。
そう、人々は絵に描いた馬「絵馬」を買っていたのです。
といってもこちらで売っている絵馬はおなじみの板の絵馬ではなく、紙に描かれた絵馬「紙絵馬」なのです。
毎年8月9日10日に市内の松倉山にある松倉観音のご供養が行われますが、このときこの紙絵馬を売る習慣があり、人々はこれを買い求めて松倉山へ登り、観音堂で御祈祷を受け、御朱印を押していただき自宅へ持ち帰り、馬が幸福を運んでくるようにと願い、馬の頭が家の中に向くように家の入口を入ったところの右か左側に張ります。
この紙絵馬の伝統は江戸時代に始まったといわれています。
しかし、松倉観音そのものの歴史はもっと古く、9世紀中頃慈覚大師というえらいお坊さんが唐(当時の中国)に渡り、帰国する船で嵐に遭った時、観音菩薩に祈ると嵐が静まり無事に帰国できたため、お礼に二寸八分の馬頭観音を作り比叡山に安置されました。その後、宇治川の先陣争いで有名な佐々木四郎高綱(たかつな)が比叡山に赴き、この本尊をいただいてきました。16世紀後半、戦国時代にこの地を治めていた佐々木四郎高綱の子孫、三木自綱(みつぎよりつな=姉小路頼綱あねこうじよりつな)が観音様を松倉山に安置したことに始まっています。
以来、地元の人々の信仰を集め、特に牛や馬の守護神として、また家内安全商売繁栄の御利益があるとされて今も大切にされています。
昔は馬が日常的に使われていましたから、そのころには馬をひいて松倉山へお参りをしたということです。
この観音様は現在では普段は市内にある素玄(そげん)寺に安置されていますが、供養の日の9日、10日だけ松倉山の岩屋、観音堂に移されます。
この紙絵馬の伝統を今に伝える絵師、池本屋の池本幸司さんはこの家の絵師として6代目にあたります。
白い和紙に一筆一筆書き込まれると、そこから勢いのある馬の姿が現れ、今にも飛び出してきそうです。
代々伝えられた紙絵馬の技法は木版画ではなかなか表せないものです。
馬の背には宝袋や依頼主の家紋などがあでやかな色で描き加えられ、より一層生き生きとしたものになります。
池本屋さんでは今でも習わしで、紙絵馬を1枚2枚と数えず、一頭二頭と数えます。そして絵馬を買っていただいたお客様に代って、自身で松倉山にお参りに行き、御朱印をいただき、翌日お客様のお宅に届ける時にも「馬をひいて参りました。」と挨拶をし、馬の手綱を渡すように必ず手渡しするそうです。
こんなところにも伝統行事の奥深さ、馬に対する愛着が感じられますね。