
■毎年7月、福島県相馬市で行われる「相馬野馬追(そうまのまおい)」

500騎以上の騎馬武者が戦国時代の鎧兜(よろいかぶと)に身を固め、戦場に見立てた雲雀ヶ原(ひばりがはら)の本陣(ほんじん)へ向けて行軍する様は、まさに生きた絵巻物を見るようです。
この祭りのハイライトは300騎以上の騎馬武者(きばむしゃ)たちが、花火によって打ち上げられ、ひらひらと落ちてくる30cmほどの長さの御神旗(ごしんぎ)とよばれる布を馬上で奪い合う「御神旗争奪戦」で、これは現代に残る最大規模の勇壮な騎馬イベントです。
■祭りの由来
この祭りの由来は1000年以上前、関東武者の雄、平将門(たいらのまさかど)が自国領、下総小金原(こがねはら=今の松戸市の辺り)で野生馬を敵兵にみたてて軍事演習をしたことに始るといわれています。
平将門の流れを汲む相馬氏(そうまし)はその後もこの野馬追を神事として続け、現在に至っています。
■出陣式、7月23日

騎馬軍団はすべて軍者(ぐんじゃ)と呼ばれる指揮官の持つ振旗(ふりはた)を合図に、螺役(かいやく)と呼ばれる武者の吹く法螺貝(ほらがい)の音(ね)によって行動します。

馬の装束、馬装(ばそう)も昔ながらのものです。現在はハミとよばれる馬の口にいれて手綱で操作するものを轡(くつわ)といいます。また、鞍(くら)や足を載せる鐙(あぶみ)も現在の西洋式のものとは全く違います。
鞍はそもそも木でできており前輪(まえわ)という部分と後輪(しずわ)という部分のあいだに2枚の腰かける板の部分、居木(いぎ)がありそれに漆塗りで蒔絵や象嵌などの装飾がされ芸術品の域にまで達するものもあります。現在の鐙は電車の吊革のように足を掛けるものですが、日本のものはひらがなの「つ」の字を上下逆にしたような形をしています。この伝統行事では鐙の使い方にさえ礼儀が重んぜられます。それは普段は足を外向きに載せていても、総大将の前を通る時には足先を鐙の中へ入れ敬意を払うというものです。
■野馬追本番、7月24日

雲雀ヶ原に到着すると昼過ぎにはまず、古式甲冑競馬(こしきかっちゅうけいば)が行われます。
甲冑競馬といっても事故を避けるため兜(かぶと)ははずし、白鉢巻をしめて1周1000mのコースを12頭立てで走ります。

この競馬が終わるといよいよハイライトの御神旗争奪戦です。

騎馬武者はその御神旗を鞭(むち)でうまくからめとるとそれを持って本陣のある山へ駆けのぼって行き報告します。
こうして20発の花火が次々打ち上げられ、その都度数百騎の騎馬武者達が御神旗を奪い合うさまはまさに戦国時代の戦いを彷彿とさせます。
■野馬懸(のまがけ)神事、7月25日

これは野馬追の由来にもある野生馬を捕らえて神様に奉納するという古式ゆかしい儀式で、相馬小高神社で追い込まれた裸馬を御小人(おこびと)と呼ばれる十数人の白装束の若者たちが素手で捕まえ、それを小高神社に奉納するというものです。この儀式は国の重要無形民俗文化財に指定されています。このあと神社境内で地元小高郷の騎馬隊による御神旗争奪戦が行われ相馬野馬追祭は終わります。
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