(写真)イギリス・ニューマーケット競馬場
パリオの祝祭〜古都シエナに生きる馬の伝統〜
イタリアのフィレンツェから南に50キロにあるシエナでは、裸馬に乗った男たちが、優勝旗を争う、激しいレース、伝統的な馬の祭り、パリオがあります。その歴史は古く、17世紀の頃から馬を使い、今日のような形になったといわれています。パリオとは、旗のことで、優勝した馬のチームだけにこのパリオが渡されます。ここでは、シエナの守護神である聖母マリアに捧げる祭りを、全市をあげて行います。優勝旗、パリオをめざして、7月と8月の2回、シエナの町は、町中がパリオにわき上がります。シエナ市は、12世紀から14世紀にかけて、中世イタリアで最も繁栄した都市国家のひとつでした。煉瓦づくりの家が連なり、教会の塔が空にそびえるシエナの町は、今日もなお中世の雰囲気を残した、古い都です。町の中心は、カンポといわれる広場。イタリアの古い町には、どこにもこうした広場がありますが、シエナもそうした町のひとつで、カンポ広場は、市民の憩いの場である社交の場、そしてあらゆる行事の舞台になっているのです。シエナ市庁は、カンポ広場にあります。パリオは聖母マリアに捧げる祭りです。聖母マリアの保護と、加護のもと、繁栄がくることを願って、旗には聖母マリアが描かれ、その時代の人々の祈りが託されています。そのはじまりは明確ではありませんが、12世紀から14世紀ごろから、カンポ広場では、パリオの前身ともいえる祭礼行事が繰り広げられ、町にはすでに、コントラーダ(シエナの各地区にある町内会のこと)があり、それぞれにシンボルである動物を山車(だし)にして、全市をあげて、お祭り行進をしたといいます。そして17世紀に入って、今日のようなパリオが生まれ、競馬レースが生まれました。
抽選会の日、カンポ広場にある市庁舎に、各コントラーダの旗が並びます。市内には、17のコントラーダがあります。そのうちパリオに参加できるのは、10のコントラーダだけなのです。実はこの抽選会で当たるコントラーダは、3つだけ。あとの7つは昨年参加できなかったコントラーダが優先的に出場します。だから抽選会は盛り上がるのです。コントラーダのメンバーになるためには、まずコントラーダの洗礼を受け、コントラーダの紋章の入ったスカーフをもらい一員となるのです。
パリオが近づく5月から6月。各コントラーダでは、それぞれの教会を中心に旗祭りを行います。この祭りはコントラーダの守護神に捧げるもので、朝から夕方まで、太鼓と旗の行列が、町中を練り歩きます。パリオのコースは、カンポ広場の石畳の上に土を入れて作られます。パリオの順番は、まずはじめに市庁舎の前で馬の登録から始まります。その登録があった馬は獣医師の厳格な検査を受けた後、予選会を経て最終的に10頭を選び出します。選び出した後は、馬の抽選です。コントラーダは、自分たちで馬を選択することができません。10頭の馬が公平に抽選で決められ、ようやく馬のコントラーダが決定するのです。強い馬が当たったコントラーダでは、熱狂的に馬を歓迎します。その後、プローパとよばれる、馬の試し乗りがカンポ広場で本番さながらの内容で数度行われ、本番を迎えます。本番前夜、シエナの各コントラーダでは、騎手を迎えて晩餐会が開かれ、騎手に対してパリオの歌で声援を送ります。
パリオ当日の午後、各コントラーダの教会では、パリオに出走する馬が、司教から祝福を受けます。馬が、教会の中に入るこの珍しい光景は、シエナのパリオならではのことです。
パリオに先立って時代パレードがあります。時代パレードに出場する若者たちの準備が進みます。中世の時代そのままにきらびやかな衣装の騎手たちが、コントラーダに誕生します。競馬とともにその昔から欠かしたことのないこの一大歴史絵巻。シエナの人々やコントラーダの誇りでもあるわけです。時代パレードの最後が、パリオの登場です。今年のパリオが観衆に披露されます。
いよいよパリオ本番です。騎手たちは、2本のロープで仕切られたスタート地点に、各馬が入り、騎手たちはお互いに牽制して微妙な駆け引きを繰り返します。スタート地点になかなか入らない馬もいます。これも作戦のひとつ。少しでも有利にレースを展開しようと騎手たちは仕掛けをするのです。パリオのトラックは、4つの急カーブがあって、なかなか難しいコースとなっています。トラックを3周し、勝負を決めるのです。スタート後は、難しいコーナーを曲がり切れず、落馬や転倒するのも有り、レースの行方は、競走してみないと分かりません。
「何が起こるか分からない!パリオに絶対はない!これがパリオというものだ。」数百年の間、このシエナの地で受け継がれた、語り継がれてきたパリオの歴史。遙かな昔から、人と馬は緊密な、調和のうちに生きてきました。人と馬とのふれあい。深い絆。パリオのなかにシエナの人々のなかに、その歴史と伝統が、今もなお、生きています。